japaneserussiankids's blog

日露国籍問題-国籍確認訴訟から見えてくる国籍法11条1項の問題-

コメント#49-日露国籍問題-実録、本件訴訟原告ら東京入管へ出頭、書類提出、本人確認まで-

 

japaneserussiankids.hatenablog.com

 元記事 ↑↑↑ を必ず参照してくださいね~。この記事は元記事の続編です。右側の月別アーカイブ「2017」のところをクリックして日付順に読むと理解しやすいと思いますョ。

 

 しばらくブログの続報をお休みさせていただきました。いろいろと個人的に忙しくてね、、、だけどきちんと報告しますよ~。。。というわけで、前回からの動き、状況をお知らせしようかなと思うわけです。

 

 前回までで、法務省から報告が区にあり、1月22日に原告父の携帯に区から連絡があったこと、除籍の手続には約1週間かかること、在留特別許可に向けての手続が進む状況になったことはお知らせしました。そして、原告父が1月30日に区の戸籍窓口で戸籍謄本(除籍謄本)を取得すると原告の子供たちの戸籍は「報告日平成30年1月19日、報告者法務省民事局長」によって除籍されていたということです。20日、21日は土日だから22日に原告父のところに連絡があったということなんだろう。。。まァ、除籍だからと言って戸籍謄本からすっかり跡形も無くなくなるというわけではなくて、「除籍」されたということや、日本国籍喪失の年月日などはきちんと明記されている。その一方で住民票、こちらは戸籍謄本とは違って、見事に跡形も無く、きれいサッパリと消滅しているという。。。恐らくこの問題に関して、このような法務省民事局長の報告と言う形(戸籍法105条)での除籍のされ方は初めてのケースではないかと思う。。。

 

 それでは原告の子供たちは???ということになるから、その後のことをちょっと書こうと思う。

 1月22日の夕方に原告父親が東京入管に打ち合わせに行ったことは既に書いている(あの雪が降り始めた日だ)。原告父は指示通りに永住審査部門の相談窓口に直行した。。。状況を説明し(と言っても、「子供の日露の国籍の件で」と言うだけで大方の内容を理解してくれるからラクだというが、、、)判決書を渡して10分ほど待つと、そのまま6階の調査第3部門(出頭申告)へご案内~、すぐに次の担当者に引き継がれて、調査官より事情を聞かれる。なお、どの係官も対応は極めて丁寧だったとのこと。原稿父はすぐに手続を始めたかったが、この時点では戸籍がまだ除籍になっていない状態だ(手続きには1週間ぐらいかかるンだから。。。)。そしてビックリしたのはこの後だ。。。原告父が「コレは最高裁の決定なんだからすぐに手続き進められるだろ?」と聞いたが、あっさりと「進められません」と、、、最高裁の決定があろうがなんだろうが、戸籍が除籍になったとの謄本が無ければ何も受理できないのだそうだ。。。つまり、「後で除籍謄本だけ追加で提出」というのはできないというのだ。。。そんな訳で、除籍謄本と一緒に持ってくる書類一覧表をもらい、そのとき対応してくれた担当者が在庁している日にちをいくつか示してもらった(その調査官からは「また、はじめから説明するより私が対応したほうが簡単でしょう。」ということで配慮をしてもらった。。。)。それで、書類を集めた上で次回は2月1日と決まったわけだ。。。そしてさらに、子供の本人確認もしたいということで、「子ども自身も出頭してほしい、本人に名前を聞く程度ですぐ終わります。」と言われた。そして、調査官「水曜日を除く午前は9時から11時まで、午後は13時から14時までです。」。原告父「それじゃ、学校を早退させないと、、、」というと、調査官「学校が終わるのは何時ですか?」、原告父「15時30分ぐらいかな。。。」。調査官「それじゃ学校が終わった後、何時ぐらいに来ることができますか?」、原告父「16時30分までには間違えなくここに着ける。」。というわけで、書類の受付は2月1日朝トップ、本人確認は2月1日16時30分と決まった。

 

 指示された書類自体はすぐに入手できるものばかりで、原告父にとっては特に難しい書類は無かった。それで原告父は2月1日朝トップで東京入管に行って担当者を呼んで書類を渡したわけです。この日もこれまた寒い日でさァ、夕方から雪の心配があった日だった。。。書類のコピーなどの作業は東京入管のほうで対応してくれる。その間いくつかの確認や質問が調査官からされた。ホントにパスポートの内容や事実の確認程度で特に印象に残るような内容ではなかったようだ。。。ただ一つ、印象に残っていたのは「何でロシアのパスポートを取ろうと思ったんですか?」という質問だったという。この質問に対しては「ロシアのパスポート(ロシア国籍)がほしいと思って取ったわけではない。出生届けを提出するように言われて提出したら勝手に子供のパスポートが出てきた。これが私の認識だ。。。」と答えたという。そして、調査官もその答えに対してそれ以上の質問は特にしなかったようだ。。。そして最後に「陳述書」なる9枚の用紙を2組渡されて「これを書いて持って来てください」と言われておしまいだった。内容的にはちょっと書くのがメンドウという量だが作成自体は難しいものではない。。。

 

 その日の夕方、学校には事前に授業終了後速やかに下校させてもらうようにお願いしておき、2月1日15時30分に学校の近くで原告父が子供をピックアップしてすぐに東京入管に向かった。16時前には入管についたので、予定より早く窓口に声をかけて、担当者に部屋に案内されて本人確認をしたという。。。本当に名前を聞かれただけだったらしい。。。原告父が調査官に「他に何か聞くことは?」と聞いたら「学校は楽しいですか?」みたいな質問だったので、「本当にこれ以上聞くことは無いんだな、、、」と悟ったとか。。。

 

 実はここで大きな問題が発覚する。子供と母親のパスポートのことだ。自分にするとこのことも結構スゴイと思わせるようなことだった。それ以外にも自分から見て本当に“スゴイ”と思わせることが次々と発生しているので、次回以降で、このことに触れようかな。。。

 それじゃまた。。。