japaneserussiankids's blog

日露国籍問題-国籍確認訴訟から見えてくる国籍法11条1項の問題-

コメント#13-日本で生まれた日露カップルの子供の国籍問題について思う(2016年2月13日コメント)

 

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 元記事 ↑↑↑ を必ず参照してくださいね~。この元記事についていたコメントをそのまま転載したものです。右側の月別アーカイブ「2017」のところをクリックして日付順に読むと理解しやすいと思いますョ。

 

 それでは、前回の続きだ。
 この問題の解決法として、ロシア国籍を離脱してしまう人も多かった。国側の主張どおり、日本国籍を失ったとすれば、こりゃ言ってみれば無国籍だ。帰化手続きはは手数がかかる。手続きが煩雑で面倒だし、しかも、子供は国によって不法滞在者として取り扱われるのだ。だから安易にロシア国籍を離脱してしまう。それ以外にも、日露カップルの親がすでに離婚している場合などは、日本への帰化の道さえ閉ざされている場合がほとんどだ。状況によってはそうせざるを得ない事例もある。2013年の11月ごろなんてさァ、ロシア国籍の離脱手続きでロシア大使館ごった返していたんだから。ある人からの情報に拠れば手続き開始まで3ヶ月待ちとか。。。ここについては、例の行政書士さんと意見が合うんだが、ロシア国籍の離脱、これは一言で言ってしまえば、愚かな対応だと思う(ただし、日本への帰化の道すら閉ざされている事例を除外したい、何たって帰化できなければ、もう裁判かロシア国籍の離脱しか方法がないわけだから、、、)。一旦離脱したロシア国籍は、将来子供がロシアへの移民を決意したときには復活が保障されていない。ロシア大使館自身がその場合の対応はどうなるかわからないと言っているんだから。しかもロシア国籍の離脱によって日本国籍が復活するわけではない。それにもかかわらずなぜロシア国籍の離脱なのか?ロシア国籍を離脱しないと、ロシア入国時はロシアのパスポートを使用しなければならないから、日本のパスポートにロシアの出入国印が押されず、小さな子供がロシア人親と一緒に出入国したときには不具合が生じるのだ。だって、ロシア人親のパスポートにはロシアの出入国印があるのに、子供の日本のパスポートには出入国印が無いんだから。。。それでは、日本のパスポートでロシアの出入国を行うのか?このときはロシアのビザが必要となる。ロシア国籍者にはロシアのビザは発行されないんだからね。だからロシアの国籍を離脱すると言うことになるのだ。しかしこの方法は、決して利口な方法とはいえない。日本の国が、日本国籍を喪失したということを証明できないことを悪用しているに過ぎない(まァ、もともと喪失していないと考えられるんだが、、、)。目の前の小さな利益のために大きなものを失うことになる。決して子供のためにも、親のためにも、そして日本とロシアの社会のためにもならないだろう。日本と日本の社会を騙すことはできても、自分自身を騙すことはできないんだから(実際に、ロシア国籍を離脱して国側主張によるところの無国籍となり、その後、子供のためにならないということで考えを改めて、法務省に全ての事実を申告して日本に帰化した子供がいたよなァ。2014年春ごろ~夏ごろの話だ。この家族つまり、両親と子供に自分は実際に会って話を聞いた、2014年の1月のことだ。これはこれで、自分は親御さんの立派な決断だったと思う。法務省は当然詳細を把握しているはずだ)。
 目先の障害を取り除くために安易にロシア国籍を離脱するという考え、これはつまり、親が子供に“自分の利益のためならば他人を欺いてもよい”と教育することを意味する。一方で、自分が納得できないのに帰化と言う選択をするということ(上で触れているが、そうせざるを得なかった人が大半なのだ。本心から納得して帰化という選択をしているのならばそれはそれで良いのだが、、、)、これは、子供に“長いものに巻かれろ”あるいは“権力のあるものに阿ろ”と教育することを意味する。これらのような目先の利益のために安易な妥協をしてしまうこと、これが長い目で見たときにお互いのために有害なものではあっても、決して双方に利益をもたらさないということをここ数年で日本人は思い知らされたはずだ。どこだかの国の問題でね。。。そして、これらのような教育を受けた人間ばかりだったらこの日本がどの様な国家となってしまうか。。。中には、“世の中には正義、正道だけじゃ通用しない一面があるのだ”と言う人もいるだろう。実際そのような意見は多く耳にした。。。しかし、単純にそのように考えているのだとしたら、その考えは浅はかと言うものだ(だいたいね、子供の国籍の問題だよ、コレは。親(自分自身)の国籍についてならまだしも、親(法定代理人)の国籍じゃない。子供であっても別の人格の国籍だ。。。)。もちろん、実社会には今回の事件を一例として正義、正道だけでは通用しないものがある、時として邪道の道を選択せざるを得ないことがあるのだ。しかし、その現実を承知した上で、それでも、邪道の道、それは親が子供に教えることではないと思う、親はあくまで正義、正道を子供に教えるべきだ。将来、子供が成長して実社会に出たとき、そのような正道と邪道の分岐点に立つことがあるだろう。そして、いわゆる邪道と言われる選択をせざるを得ないことがあるはずだ。そのときは子供自身が激しい葛藤の中で苦しみ、悩み、そして止む無く自分で、ある種の後ろめたさを伴って邪道の道を選択するべきものだと思う。自分は、特に日本の文化に於いては、この部分がブレーキとなっていると思うのだ。日本のモラル、道徳が比較的高い水準に維持されている理由がここに有るのだろう。ちなみに、そのブレーキが利かなくなったらどうなるか、つまり、多くの親が安易に邪道の道を子供に教えるようになったら、その国がどのような国家となってしまうのか。。。近くにその立派な具体例が存在しているだろうに。誰しもすぐに思いつくはずだ。。。